職業:プロサッカー選手(中国リーグ)
出身:愛知県名古屋市
自己紹介:1/4が日本で3/4が中国のクウォーターです。とはいえ、日本で生まれて18歳まで日本の教育を受けて育ったので、中身はほぼ普通の日本人です笑
残念なのは、もともと中国語レベルは0で、ニーハオとシェイシェイしか知りませんでした。多分ですが、そのような境遇の方は少なくないと思います。
中国に来た理由:高校サッカー引退後、プロサッカー選手になるのを諦めて、自分のルーツでもある中国に留学することを決めました。
念願の大学進学
中国に渡って三年、上海にある上海工程技術大学のファッションデザイン学科に入学することになりました。
(大学進学まではまた別の記事にて書きます。)
上海にはたくさん日本人がいて、日本人だけのチームで10チームほどからなる社会人リーグも存在し、中には外国人の社会人サッカーリーグで戦う日本人チームもあります!
大学入学間も無く、外国人リーグに参加している上海JF*というチームに入れていただき、このチームとの出会いによってもう一度プロを目指すと決断しました。
*今年で創立26年目になる、歴史あるチームです。
もう一度プロを目指すきっかけ
JFの練習終わりの地下鉄で、当時チームメンバーであったHさんとの会話の中で、「プロになるの諦めて中国に来ました。」と僕が言うと「せっかくなら中国でまた目指せばいいじゃん」と言ってくれたこの一言で、一気に火がつきました!!
その話を聞いた上海滞在歴の長いOさんが、すぐに上海の社会人チームに連絡してくれ、そこのチームの練習にも参加できるようになりました。
この時は、すでに22歳で身長は190cmまで伸びていて、体重も増えて、完全にフィジカル系のFWのプレースタイルになっていて、
目指すには遅いと言う意見もありましたが、ここから4年間大学生活が待っていたので、この4年の間になれなかったら素直に辞めるつもりで頑張りました。
中国社会人チームの実態
Oさんの紹介で入ったのが、上海DIBという社会人チーム。
日本との最大の違いは、金持ちの社長がチームを作る場合が多いので社会人チームでも給料がもらえます!!(これには本当に驚きました。)もちろん貰えないチームも多いです。
DIBの選手として上海の社会人リーグに参加して、なんと勝利給などもあり、相手チームの強さによって金額も変動し、選手のモチベーションを上げてくれます。笑
僕の当時の契約は、練習一回参加すれば200元(約3200円)週二回の練習と週末の試合で1ヶ月でアルバイト代くらいは貰えていました。
この時大好きなサッカーでお金がもらえることに感動して、本当にいいのかな?ってなってました笑
大学2年の時には、上海の社会人チームで3部昇格を目指す別のチームに入って、月に6000元(約9万円)の契約ができ、上海の予選リーグで優勝して、最優秀選手にも選んでいただきました!
しかし!ここで一つ問題が出て来ました。
中国人だけど中国人じゃない!?
予選リーグを1位通過して、全国大会に出る時、僕は中国での身分証(日本でいうマイナンバーカード)がなく、国籍は中国なのに登録が認められませんでした。
当時のコーチに「発行しよう!どのみちプロでやるなら身分証がないと、登録できない。」と言われすぐに、手続きし始めましたが、そんな簡単なものではございませんでした。。。
結局その全国大会には出れず、チームも負けてしまいました。
そして大学3年の時、本格的に身分証発行手続きを始めました。まず、戸籍を登録すること。これができれば身分証が発行できます。
ただ、僕は父の戸籍に登録することになったのですが、なんとそれが北京の戸籍でした。北京・上海などの大都市の戸籍は、中国人なら喉から手が出るほど欲しい価値のあるもので、それもあり登録はものすごく難しいものでした。
日本でも必要な書類を発行したり、父とDNA鑑定をしたり、あとはとにかく待つ。
ここで一番必要なのは、内部とのコネです。
そこで、身分証を作るよう勧めてくれたコーチが、知り合いの元中国代表の選手で引退後に北京の政府関係で働いている人に連絡をしてくれて着々と手続きは進んでいきました。
授業後、新幹線で隣町に練習へ!
大学3年の時、身分証の手続きを進める中、無錫という街のチームからオファーを受け、月1万元(約16万円)の契約をしました。ちなみにこのチームは日本でいうJFLのカテゴリーで3部昇格に力を入れていました。
僕は、身分証が間に合えば出れるので、とりあえずサインをして、上海で授業を受けながら、終わったら往復3時間かけて無錫まで通いました。
スムーズにいかない・・・
予定では、身分証ができて無錫のチームの選手として、昇格を目指したかったけど、間に合わず・・・。
この時すでに手続き始めてから、半年が経っていましたが、なかなか結果は出ずに、審査待ちという状況がつすきました。
無錫のオーナには謝罪をして、すごい良い人で、理解をしてくれました。
結果、チームは負けて昇格ならず。
就活
大学4年になり、ついに最後の年。プロになれるかどうかは、身分証ができるかどうかにかかってきました。一年が経ち。まだできない・・・
その時、恩人であるコーチ(身分証発行を手伝ってくれている)が深センの4部のチームでプロ3部昇格を目指しているから来ないか?とオファーをしてくれました。
ただ、この時まだ身分証はできてません。大学卒業までは半年を切り、チームへの登録は2ヶ月を切っていましたが、とりあえず練習に参加することにしました。
大学の授業もほとんどなかったので、住み込みでトレーニングに参加してい、身分証手続きを進めていましたが、なかなかできない・・・。
5月に入り、25日までにできなかったら、その年の登録は締め切りになってしまう。そのプレッシャーもあるし、できなかった時の準備も全くしてなかったので、いろいろな不安に襲われていました。
ついに締め切り
5月25日。午前、最後の希望を持ち、北京の手続きを行う場所へ。コーチから
「一番お偉いさんに連絡しておいたから大丈夫。」と言われていましたが、
午後また来るように、門前払いでした・・・。
この時「あ、もうだめだ。締め切りは17時、間に合うわけない。」って思いながら、午後もう一度行くと。
なんと手続きが完了したと言われました!
すぐにコピーして、深センのチームに送ってギリギリで登録が完了したと同時に、卒業後の進路としてもこのチームに入ることが決まりました。
2018/5/25自分にとっての一つの大きな分岐点となる一日になりました。
半年間の奮闘の末
結果、深センのチームは全国大会で敗れ、3部昇格のチャンスを掴めませんでした・・・。
ただ、そこで一人の代理人が目をつけてくれて、声をかけてもらい、代理人と個人契約を結ぶことができました!
そして、2019年代理人のおかげで、保定容大という
3部のプロチームと契約
することができました。
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