2012年3月に北京での留学生活が始まり、
2年半後の2014年9月に、上海の大学に本科生として入学することができました。
大学入学までに2年半かかった理由
当初の予定では、2012年9月(中国は9月入学)に留学生として本科生になる予定でし
たが、ここでハプニング発生。
なんと僕は国籍が中国なので、留学生として扱われないと拒否されてしまいした。
これはやばい・・・
いくら中国人でも、当時の僕の中国語能力は皆無。
(日本で生活していた18年間で、全く中国語の勉強をしてこなかったです。)
本科生になるには華僑・香港・台湾・マカオの人たち用の受験に受からないといけなくなりました。
え・・・。
確かに華僑だけど、中国語がネイティヴの香港や台湾の人たちと同じ括りにされるのはかなりきつい・・・。
とりあえず、北京語言大学の中にある語学コースに入って、最初の1年半は外国人留学生と一緒に中国語を学びました。
ただ、このままこのコースにいても国籍が中国なので、結局本科生にはなれません。
そこで、北京にいる親戚が、見つけてくれたのが
住み込みの予備校。
華僑・香港・台湾・マカオの人たち用の受験勉強ができる予備校です。
*もちろんその中に、日本語で対応できるスタッフはいません。
「中国にある住み込みの予備校・・・。絶対やばい・・・。しかも、9ヶ月後もし合格できなかったらどうしよう・・・。中国語も全然なのに、中国人と同じように受験するなんて無謀すぎる・・・。」とかなりビビっていました。
でも、ここで逃げたところで他にやりたいこともなかった僕は
結果はどうであれ今後の糧になると信じて、覚悟を決めて予備校に入り
9ヶ月後の大学受験を受けることを決意しました。
そもそも、その大学受験の難易度は非常に高く、言葉の壁がある自分にとっては更に難易度が高くなり、かなり無謀な挑戦になります。
ちなみに、当時20歳です。
2013年9月 住み込み予備校へ入校
(これが地獄の生活の始まり・・・。)
一週間のスケジュール
・月曜〜金曜
7:00 起床
朝食
8:00〜12:00 授業
昼食
13:00〜17:00 授業
夜ご飯
18:00〜22:00 教室で強制自習
23:00 就寝
・土曜
8:00〜12:00 授業
昼ご飯
13:00〜17:00 授業
夜の自習なし
・日曜
休み
住む環境
(当時の写真が見つかりませんでした・・・。)
トイレ・シャワー付き(ユニットバスなのですが、シャワーを浴びるとトイレがびしょ濡れになる距離感です。)
しかも、シャワーは壊れていて、ホースから出てくる水で体を洗っていました。
部屋の中は、二段ベッド2つと机が2つ。しかもかなり狭く、一つの部屋に3人で住んでいました。
以上の環境で、9ヶ月間。連休は冬の一週間のみで、受験勉強しました。
地獄生活スタート
この時すでに1年半の語学勉強を終えていたので、生活においての日常会話はそこそこ喋れました。
でも、授業中に出てくる中国語は全く理解できない。
クラスメイトは10数人いましたが、そもそも語学的に問題があるのは僕だけでした・・・。
これはかなりのハンデ・・・。
ストレスで狂いそうになっていました笑
授業
僕は文系なので
国語・数学・英語・地理・歴史
・歴史は中国の歴史と世界史。(中国四千年の歴史は範囲が広すぎる・・・。)
・地理で出てくる固有名詞なども全て中国語で暗記。
例:ヒマラヤ山脈→喜马拉雅山脉 /カリブ海→加勒比海
・英語・数学はまだマシでしたが、先生からの説明はもちろん全て中国語なので、これはこれでかなり大変でした。
・国語に至っては、そもそも中国語が微妙なのに・・・。って感じでした笑
最初の方は初めて聞く単語ばかりが出てきて、そもそも先生が何を説明しているかさえ
全く聞き取れませんでした。
この状況でとった打開策
とにかく休む暇なくがむしゃらに勉強!!!
授業中は、先生の話よりも教科書に出てくる知らない単語の意味をひたすら辞書で調べる。(先生の話を聞いても全くわからないから)
夜の自習の時間は、その日の授業でやったことをもう一度復習して、わからなければ先生に聞きに行く。
とりあえず、この流れを3ヶ月間。
1日も休むことなく続けると、勉強方法が少しずつわかり、そもそも新しい内容の勉強に入ってもストレスを感じすぎることなく、いい習慣ができました。
徐々に積み重なるストレス
この時、ストレスで肌がボロボロになってしまいました・・・。
日本からプロアクティブを送ってもらうくらいです。
(効果は特に感じませんでした笑)
成人式に出ることも断念して、日本の友達から送られてくる写真が本当に羨ましかった・・・。
この年の元旦は一人で、二段ベッドの下で動画を見ていて、気がつくと0時を回っていました。 寂しすぎる笑
ストレス対策(おすすめです)
以下の三点が僕を支えてくれました。
・休みの日のサッカー
タクシーで片道40分かけて、日本人サッカーチームに参加していました。
「夏(自分の名前)が山から降りてきたぞぉ〜」とチームのみなさんが温かく迎えてくれて、サッカーをした後は、美味しい日本食をご馳走してくれていました。
本当に感謝しています。
・寝る前のガキ使
一日を通して、ほとんど笑うことがなかったです。
寝る前のこの時間が、唯一の自分へのご褒美でした笑
・周りと比べない(おすすめ)
毎月一回テストがありました、結果は教室の壁に張り出されます。
見るまでもなく自分は最下位とわかっていたので、群がる生徒がいなくなった後に
一人で見に行って、前回より良くなっている成績を見て、一人成長を感じていました。他の生徒の成績は全く気にしませんでした。
*『他と比べない』
ストレスの多くの原因は、無意識に他人と比べてしまっているからだと思います。
この生活では、完全に比べることをやめて、常に自分と向き合って過ごしていました。
こうでもしないと、おそらく途中で逃げ出していました。笑
勉強の方法が分かってきてから、成績はどんどん伸びていきました。
そしてテストまで5ヶ月。
どの大学に進学するかを選ぶときがきました。
親戚のお姉さんが一緒に考えてくれた結果、上海にあるファッションデザインを専攻できる4年制の大学を受けることにしました。
(この時上海を選んだことは、振り返ってみれば大正解でした。)
ちなみにその学校のハードルが一番低いので、落ちればもう受け皿はなく最悪の結末です。
最後の最後まで自分を追い込みテスト当日
試験は二日間にわたって行われ、計5教科を受験します。
試験中のことは無我夢中で、思い返してもなかなか思い出せません。
テストを終え、一度日本へ帰国。
この時は本当に嬉しかったです・・・。
結果はどうであれ、とにかく9ヶ月間妥協せずやりきったという思いが強かったからです。
結果はスマホから見れます。
そして、その日が来て、
スマホで調べると”末录取“と書かれていました。
ん?なにこれどういう意味? 文字の雰囲気だけで、落ちた・・・と半泣きになりながら、母に見せると
これは不合格ではなく、まだ結果が出ていないという意味らしくホッとしました。笑
そのあと
先生から直接母親のウィーチャット(日本でいうLINE)に電話が来ました。(母は中国語ペラペラです)
電話が終わると、結果は合格!!!
しかも、300点が合格ラインで、
僕の結果は301点!!!(嘘ではありません)
本当に良かった・・・。いろんなものを犠牲にしてきて、努力が報われた瞬間でした。
何より、この1点は神様がくれたものだと思っています。
こうして、紆余曲折ありましたが、2年半かけて中国人として大学本科生になることができました。
4年間の大学生活の事も今度書いていきます。
長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました!
カルチャーショック⑩(隔離生活編)
スーパーに行きたいから外出申請できない?と聞いたら。
無理です。とあっさり断られました。
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